第29号 三鷹稲門会 会報 – 2021年6月28日発行

三鷹稲門会総会中止のお知らせ
~ 昨年度に引き続き令和3年度も ~


三鷹稲門会 会長 亀谷二男(S41年・法)

三鷹稲門会会員の皆様常日頃から三鷹稲門会の活動にご理解とご協力をいただき感謝申し上げます。
 会員の皆様には、長引く「新型コロナウイルス」の感染拡大のなか、いかがお過ごしでしょうか。心からお見舞申し上げます。
 2年目に入った「コロナ禍」ですが、未だに収束方向が見えないまま、コロナ変異株による感染拡大も懸念される現状であります。1日も早い終息を願うばかりであります。

 我が国においては遅れをとっていたワクチン接種が、三鷹市においてもやっと現実のこととなりました。やはり「ワクチン接種」こそが、コロナウイルスに打ち勝つ何よりの決め手であります。河村孝市長のあいさつにもありますように、三鷹市内の人的・物的なあらゆる地域資源を総動員して接種体制を準備しつつあります。落ち着いてワクチン接種を受けましょう。今は、何にもまして最優先課題であります。

さて、三鷹稲門会活動は、2019年(令和元年)6月に、三鷹稲門会会員の河村孝市長を迎えて近年にないない盛大な総会を開催して以来、休止状態が続いています。新型コロナウイルス感染防止のために、2020年度、2021年度と2年にわたり総会をはじめあらゆる活動を休止せざるを得ない状況であります。

 今年度も会員の皆様とお会いすることができず、まことに残念ではあります。来年こそは、3年分まとめて開催できますことを心から期待しております。
 最後になりますが、会員の皆様、ご家族の皆様にはどうぞご自愛のほど心からお祈り申し上げます。


三鷹稲門会の皆さんへ

  三鷹市長  河村 孝(S52・商)

昨年は新型コロナウイルスで始まり、終わった過酷な一年でした。今年も1月から緊急事態宣言で、現在(5月末)になっても感染状況は一向に収まる気配を見せていません。新型コロナウイルス克服のための切り札と言われているワクチンは、4月まで現場では「足りない」「届いていない」といわれ続けていました。それがここへ来て、各自治体に大量に届くようになり、国からは「早く打て」と矢の催促です。しかし今度は、ワクチンを打つ肝心の医療関係者の皆さんが揃わないという状況に直面しています。

この事業は、16歳以上の国民全員にワクチンを打つという一大事業です。「明治以来初めて」、というより、「人類史上初めて」の事業だといえます。これをまず実施し、目標を達成することなしに、「三鷹市の明日」はないとすら私は思っています。

 さて、この間で新たに感じたことを、最後にひとつだけ述べさせて下さい。それは、この新型コロナウイルスによって、テレワークのようなプラス面が一気に進みました。でも、反対にこれまであまり見えてなかった「子どもの貧困」等のマイナス面も浮き彫りにされてきたのです。

去年3月から実施した三鷹市の小学校の休校措置のときのことです。各学校では希望する子どもたちには「昼食」を用意しました。そのときの状況を栄養士や給食調理の方に聞くと、子どもたちの実態が垣間見えてきたそうです。まだ少数だと思いたいのですが、給食を主たる栄養源にしている子どもたち、目の前の料理を箸も使わず手づかみで食べる低学年の子どもたちが見受けられたそうです。ショックだったといっていました。まだ間に合うはずです。新型コロナウイルスのもたらす現在の危機を超えて、さらにはアフターコロナにおける社会の姿を見据えて、皆さんとともに「明日のまち三鷹」を描いていきたいと思います。今年度もよろしくお願いします。


死人を生き返らせる

飛田 秀成(S53年法)

1 プロローグ

  弁護士になり、今年で35年になります。これまで担当した事件のうち、若い頃の思い出ぶかい事件をご紹介します。

その日、午前中にテレフォンガイドを何件か担当して、事務所に帰ってきた。独立したばかりで、仕事はおいそれとは来ない。
電話が鳴った。切れないうちに、受話器を取った。

「ああ、先ほどの先生ですね。」という男の渋い声がした。
咄嗟に思い当たったのは、テレフォンガイドで、名前を名乗ったことだ。

男は、Aと名乗った。電話帳で私の名前から電話番号を調べたらしい。
法律相談の申し入れがあった。電話で顔が見えないことに若干不安はあるが、ありがたくお受けして、相談日を指定した。

2 Aの依頼

  現れたAは、高齢で、小太り、むくんだ顔で、元気とは思えなかった。
小さな会社を経営していると自己紹介した。
 Aは、持参した戸籍謄本を示して、これが私ですと筆頭者のところを指さした。
 私は、言われるまま筆頭者欄を見たが、次の瞬間、
「死亡した日 昭和〇〇年■月□日……」
との記載を見て、頭が回転し始めた。すでに死んでいる人間が目の前にいることになる。

<Aが、戸籍謄本の人物と同一人とは限らない。なりすましも考えられる。>
 もしかしたら、Aは某国のスパイかもしれない。途方もない想像まで湧いてくる。そんな疑念が伝わったのか、Aは、自分の経歴を話し始めた。

 Aは、〇〇年、□県に生まれ、帝国大学を卒業後、大企業に就職した。やがて、父親が事業を営むB女と結婚。その後、B女の父親が経営する会社に転職し、子供も二人授かった。それでも、次第に夫婦仲は冷えて行き、AもB女の実家には身の置き場がなくなった。Aは、そんなこんなで耐え切れず、当時同じ会社に勤めていたC女とわりない仲となり、二人で東京へ出奔した。

その後、何十年も息を潜めて生きてきたが、70歳になり、保険証の切り替えで戸籍謄本を取り寄せたところ、自分が死んでいることが分かった。保険治療も受けられないので、何とかしてほしいというのだ。

 もう一度、戸籍謄本を見ると失踪宣告の文字と届出人B女の名があった。

 Aの出奔から7年の失踪期間が経った後、即刻、家庭裁判所に失踪宣告の申し立てをする女性の姿が目に浮かんだ。
 失踪宣告の審判(裁判)が確定すると、失踪宣告を受けた者は「死亡したものとみなす」とされて、戸籍上、その旨が記載される。それでAは、法律上死亡したことになったのだ。
 そんな感慨を破るように、Aが、「マンションを買いたいが、これでは買えないから先生の名義で買ってもらえないか。」とさらに無理なことをいう。私の頭にA=某国スパイ説が蘇ってくる。マンション購入は丁重にお断りして、Aを生き返らせることだけ依頼を受けることとした。

3 失踪宣告の取消

  失踪宣告で本人は死亡したと擬制されるが、現実に本人が生存していれば、失踪宣告を取消して、事実に沿った法律関係に戻せる。これを失踪宣告の取消という。失踪宣告を取消すためには、失踪者が生存することを証明することが必要だ。
 しかし、A=失踪者であると、どのように裁判所に証明するか。
 私がその説明をすると、Aは「姉がいます。」と懐かしそうに呟いた。

<姉ならA=失踪者と証明できる。しかし、生きているのか。>

 Aの姉は、海辺の甲市に住んでいるという。私は、この顛末と面会を希望する旨を手紙に書いてAの姉に送った。予想もしない手紙に驚いたAの姉から、すぐさま返事の電話がきた。
 私は、Aの姉に会うため、甲市に向かった。数日前に撮ったAの写真2葉を持参した。Aの姉は元気だったが、Aの写真を見せても、Aとは断言できなかった。
 無理もない。何十年ぶりの同窓会でも名前と顔が一致することは稀だ。直接、Aと会わせるしか方法はない。私は二人を会わせる段取りをつけた。

 失踪宣告の取消の手続では、A=失踪者であることは間違いないとの姉の陳述書及び二人が再会した際の写真を提出した。審判には、Aの元妻であるB女も出席したが、Aは元夫ではないと主張した。

 裁判所は、失踪宣告の取消を認めた。失踪宣告が取消されると、失踪宣告はなかったことになる。Aは死亡しなかったし、相続も開始せず、B女との結婚も解消しなかったことになる。その結果、生じる複雑な法律関係を解きほぐして、Aは、B女と離婚し、C女と再婚した。私は、ようやくAを生き返らせるという目的を完了した。

4 エピローグ

 失踪宣告が取消された2年後、Aは大病を患い、治療の甲斐なく死亡した。
 私は、この死亡までは取消すことができなかった。

(了)